松田 昇
「鉄道の駅のバリアフリー化のための整備費用を、運賃に上乗せして利用者に負担してもらう制度を国が設けることになりました」というニュースを小耳にはさんだ。ニュースの解説者は、「鉄道会社に負担を押し付けるのではなく、社会全体でこういう問題を捉えて、負担して行こうというのはいいことだ」と言っていたが、ネット上には一般の人の本音が飛び交っている。
「なら、障害者割引を廃止せよ」「国交省は障害者の意見しか聞かないのか」「車椅子使うやつだけで払え」目をそらしたくなるような言葉の中には、まったく関係のない被差別部落に対する差別語まで。人を見下す視点が、こうした意見の背景のような気がする。
つながるできごととして、アメリカで富裕層の人たちだけが暮らす地域が、その地方の行政組織から独立した市を作っているというのがある。富裕層が納める税金が、そうでない人たちのために使われることに我慢ができず、自分たちだけのために使えるようにしたという。その町はいいが、その分税収の減ったまわりの地域の公共サービスの低下は、住民の暮らしを直撃している。そしてこうした動きは、他の州にもあるという。
これに対してもネット上には「富裕層には、彼らが多額の税金を納めていることに対して満足を得る、何らかの補填が必要。富裕層のおかげで公共サービスやインフラを満足に受けられている現状に対して感謝するべきでは?」「頑張って稼いだら欲が深いだの法律で決まってるのだから多く税金を払って当然だの・・・・・」という意見が投稿されている。たくさんの働く人たちがいるからいっぱいお金を稼げたのではないかとつぶやいた。
新しい総理大臣の岸田さんは、「分配」という言葉を前面に出して今の地位に着いた。その言葉を期待半分、疑い半分で私は見ている。つい最近まで(少なくとも安倍さんまでと私は思っているが)、「自己責任」「小さな政府」をキーワードにして、福祉・公共サービスなどの縮小、公営事業の民営化、規制緩和による競争促進といった新自由主義の政策を推し進め、結果として格差の拡大を生んだ自民党政権である。「分配」を言うからには、アメリカでのこうした動きや考えが日本社会の中に入ってこないようにしてもらいたいものである。それによって社会が分断されていくことも気になる。
ちなみに富裕層の町とはジョージア州サンディ・スプリングス市。最近のような書き方をしたが、2014年、トランプ前大統領誕生以前のことである。