松田 昇
学生時代の部活の拡大同期会を金沢でしたいということで、県外から6人の先輩、同期生がわざわざ来てくれた。兼六園、金沢城などを観光したところへ、私も合流した。のどぐろの会席料理を堪能しながら、お互いの卒業後の歩みを語り合った。何しろほとんどが40数年ぶりの再会ということで話が尽きない。二次会のホテルのロビーでも閉店時間が案内された。さすがにそれ以上次に行く体力は、みんな残っていなかったところが昔と違う。
翌日、武家屋敷跡と、ひがし茶屋街を歩いた後、近江町で海鮮丼を食べ解散、口々にこの2日間で金沢を堪能して満足したと、帰って行った。
土、日に金沢駅に行くと観光客でごった返している。この2日間は平日だったが、それでも武家屋敷跡やひがし茶屋街などの観光スポットに行くと人は多かった。それも外国人が目につく。私が生まれ育ったところは殿町(現在は尾張町)といってひがし茶屋街の近くだが、そのころは観光化されていなかった。外国人の姿など見たこともなかった。新幹線によってすっかり金沢も国際化した。
しかしのどぐろも海鮮丼も、私にとって、多分多くの石川県民にとっても日常ではない。すっかり観光客向けに整えられたひがし茶屋街も武家屋敷跡も、暮らしの中にはない。近江町の飲食店の前には行列の中に地元の人間はいない。ところがそれらが今、金沢を訪れた人へのおもてなしとしての仕様になっている。
それらをなでるようにして通り過ぎていった人々が理解する金沢を想像する。それが本当の金沢の姿ではないとは言わない。多くの観光地がきっとそうであるように、それは外向けの姿なのだろう。でも私はのどぐろと海鮮丼ではなく、8番ラーメンとインディアンカレーを食べて金沢を知ってほしかった。
さて、今回からこの通信「あんとふる」の仕様が変わった。これまで私が編集してきたが、今回から若手の職員に編集を委ねるこにした。常に生まれ変わっていく組織でありたいと言うのが、私の思いである。慣れない作業ではじめのうちは試行錯誤するかもしれないが、そこはご容赦願いたい。